心の平安を禅(ZEN)に求める風潮とは?

心の平安を禅(ZEN)に求める風潮とは?

アメリカではグーグルやアップル社が「禅」を社内のリフレッシュタイムや自己啓発に取り入れているのは著名です。朝、NHKニュースではテロの多いヨーロッパ全土に「禅」が広がっていることを報道していました。私自身、20代に「禅修行」をして今があります。その私が思うにはとてもいい流れだと思います。「禅」は拝むものもなく「ただ己の自己鍛錬」です。3大宗教の差別と格差戦争に疲れた人達又疑問をもつ人達が「禅」の「戦いのない」心に集中する時間をもとうとすることは「欲」「エゴ」から解き放たれる「心の平安」の時間をもつこと、またその感覚が磨けることになります。この流れは明るい光の道なので「禅」についてわかりやすく解説をしてみます。

~日常生活の悟り道が「禅」(ZEN)

日常生活の悟り道が「禅」(ZEN)

「禅」(ZEN)の「動じない心」を極めるには「日常の生活」を丁寧に魂を込めることから始めます。「禅」(ZEN)は聖典もなければおがむものもありません。「己の心を見つめる」作業です。「心がどこにあるのか」というのは愚僧であり「心を見つけようとするのならば掃除せよ」という禅問答があるのも「禅」(ZEN)の実践の大事さを物語っています。そのためにはまずは規律正しい生活、食をつくる、食べるも修行と考えられていて、これは「気を整える」(=エネルギーを整える)ことになりますがそんな説明は誰もしてくれません。私が必然と禅修行をしたことがあり「現代社会にわかりやすく「禅」(ZEN)」を伝えるのも使命だと感じているのでこちらに継続して書いていきます。「禅」(ZEN)は難しいという人たちは「禅」(ZEN)を知らない方がいうことであり、「禅」(ZEN)は至ってシンプルです。逆にシンプルなので淡々と掃除、食事、仕事、風呂、睡眠を繰り返す生活の中で「無」「空」の境地に近づいていくのです。座禅もしますが、チラチラ妄想するのならば「喝」を入れられて一度座禅は修了「掃除してやり直し」というのが筋です。禅僧になる訳ではない人たちは「禅」(ZEN)を日常生活に取り入れたり「見えない場所に心配り」をする(=波動に通じる)ことだけでも、毎日の勤めの仕事も「ありがとう」と上手くいくことでしょう。

私が「覚醒の道」を進める時に「スピリチュアルリズム」だけで推し進めるのに反対してきたのも、掃除もできない人に「精神性」は語れないと考えているからです。足元を固める、土台を整えてこその「生きる道」であると滾々と「覚醒の道」を歩む人たちには解説してきました。それには素人ですから「型」に始まり「型」を覚えて実践していくことです。「お陰様」「無事」である生活に「気」を込めて掃除する、体を大事に食をシンプルにする、365日継続していくと「宇宙と繋がり7チャクラは整います」 「「禅」(ZEN)」を極めていると心配ごとも悩みごとも消えていきます。要は(要はもないのですがわかりやすく解説のために)、「求めない」「欲しない」「エゴのない」世界に近づくのが「禅」(ZEN)です。本来の人間の在り方であると気づきだした人が増えたということは好ましいことです。人間ですからやや悩むのなら「掃除する」、わずかに妄想するなら「草を刈る」「窓を拭く」ことで邪念が少なくなります。誰かが来るから掃除するなんて「禅」(ZEN)的ではなく誰も見ていなくても掃除します。見えない箇所に心配りをできずしてそれはうわっつらの有様であり、真の美とは「見えない気」にあると考えます。私自身も「自由が丘ロータスカリックス」が波動が高いのは365日、「禅」(ZEN)を極めてセッション開催日以外にも掃除、気配り、整理整とんをして客人を迎え入れる場所つくりをしてきたからだと自負しています。自負というと「喝」が飛んできそうなので「淡々と取り組みました」証です。千の利休から創始された茶道は「禅」(ZEN)が根本にあります。相手に集中するためには「同時に2つのことをしない」、テレビを見ながら食事、アイフォン片手に会議などもっての他であり、それも人の自由でありますがどちらにも心を入れていない日常を過ごすと「目の前にあること」に雑念が入る、環境が乱れると考えられています。人には求めないのが基本ですが、シンプルな「禅」(ZEN)を掃除に取り入れるとしたら、TVも音楽も消して淡々と雑巾掛けです。そして雑巾は床用、トイレ用、台処用と分けます。これも見えないところの心配りに通じます。雑巾と下着を一緒に洗う人はいないかと思いますがそういうことになってしまいます。我が強いと「禅」(ZEN)の生活とはほど遠く、この世界は1人ではない、だからこそ己を極める、という概念が「禅」(ZEN)にはあります。人に迷惑かける、我を押し通す人間は「禅」(ZEN)をしていくとおそらく「己の内面」という答えに通じていきます。「一寸先は闇」と感じているヨーロッパの人たちがお互いに詫びずに「祈る」行為を続けても平和がこないのはなぜなのだろう?「解決策は己にあり」と感じ始めたので「日常の悟り道」「己を鍛錬する」作業に入っているのかと思われます。「民族の格差」「眼には眼を」「資本主義」という概念が全くありませんので世界に「禅」(ZEN)が広がると光明の兆しになると感じる次第であります。「禅」(ZEN)に共感した方からまずは簡単に取り組める方法を日々実践してみましょう。

禅の初心のポイント))
●1日の取り組み型を決めること(掃除、食事、瞑想、食事など)
●食事はシンプルに、食事するときは「食」だけに集中すること
●洗濯して干す時間も決めること、臨時選択にため息をつかずに
●無駄な時間を減らして、自己成長のためや瞑想の時間にあてる

シルバーあさみの心眼コメント

「神よ」「神さま」という捉え方をしない「禅」(ZEN)の真理を掌握する人たちが増えると依存から自立の道に世界が変革するかもしれません。シンプルながらも奥深く「解脱の境地」=「自分に執着しないこと」です。悩みが深い人は「自分に執着しています。」日本でも「禅」(ZEN)がかなり注目されてきています。「「自分」が強い人ほど悩んでいる」のが広がって、「我欲」の少ない世界に近づけるといいです。「暑い寒いを言わない」という「禅」(ZEN)の考え方も「シルバーあさみの公式ブログ」には度々書いてきています。「禅」(ZEN)を取り入れると「自然をそのまま受け入れる」力が生まれて五感も研ぎ澄まされます。ある意味、ジョキングやヨガも「自己鍛錬」という意味では「禅」(ZEN)と通じる継続ができる動作です。人間本来の生き方が「禅」(ZEN)には詰まっていますし「シルバーあさみの公式ブログ」の根底には「禅」(ZEN)があります。~日々是好日のために~