インターネット社会の「メール」の「境界線」とは?

インターネット社会の「メール」の「境界線」とは?

インターネット社会になりまして、電話よりもメールでのやりとりが多くなりました。電話なら言えないことをメールなら勝手に書くのは「境界線」がなくトラブルのもとです。
昨今の社会事象もメール問題が多発しています。私達が「メール文化」を倫理的にするために、心得を書いてみました。メールでの調和な結果のための参照にしてみてください。

メールのやり取りにおけるマナーやルールを見直しましょう

親子、恋人、会社、取引先、あらゆる関係性が「メール文化」です。便利でもあるけれど、コミュニケーションのまちがいも多発してトラブルが起き続けてきたように感じています。
今、社会現象に起きたということは、世界中の人達が「メールでのやりとり」を見なおしていかねばならないという悪例ですから、人のふりみて我がふり直せでここで整えましょう。

メールの「境界線」))
眼の前にいてもきちんと言えることのみを書くこと)
例えば、ネガティブや感情面をズラズラ書く人にならないということ、強烈な依存性があり、「私を見て、聞いて、こんなに悩んでいるのよ」という低次の話をメールでしない、根がティブにのらない、要は無駄な文章を書かない、ご返信しないということ。自分勝手な人が多いでしょう。
相手のタイミングや時間を考えてメールを出すこと))
テキストに下書などして、メールを作成したら読み直して、時間を選んでください。通常倫理感がある人達は、午前8時~午後22時まででしょう。「伝えたい、言いたいからメールしていまう」のは「境界線」がありません。また仮にいかがな時間にメールがきたら、しばらくほっておいて、倫理時間内に返信することがいいです。
何度もやりとりしないこと))
これは本当にそうなのです。そんなにやりとりがあるのならば、直接合うか電話にすればいい(海外遠距離除く)のです。それをしないでメールで多発したやりとりをするのは、依存関係であり、相手に要望が強い、不調和が既に起きている、訳ですから、それにまた返信を多発してするということは、「依存性」があり「依存関係」を続行したいことになります。
丁寧語、標準語で書くこと))
「~なのよ~」とか、「じゃないんですかぁー」「~~ってことでー」とかいうやりとりをメールでする人達をB層と呼ばれています。日本の精神倫理をさげた人達です。日本人の約50%の人達は、丁寧語、標準語のやりとりをする習慣が会社にありますので、個人的なやりとりで急に乱れた日本語は通常使用しません。
他人のことをメールの中に書きません))
ある2名でメールしている内容の中に、他人の話題、他人への思いをいれることは、「境界線」がないです。悪口はありえないし、又ほめているようでも批判になっています。相手に「誰かがこう言われているのよ」というメールを送る人は、その人も一部か大半そう思っている訳ですし、そもそも、メールで他人の話題をすることは、倫理的ではないです。自分も言われることになるでしょう。
起承転結、氏名でかくこと))
「○○様 いつもお世話様です。本日の用件は・・・。自分の氏名」とするのが倫理通例、それが、パソコンでできて、携帯やSNS個別メッセージでできないのは不思議です。急に相手によって緩くなりマナーがくだけるのは「境界線」がないです。(今日はノートパソコンとアイフォンの実例です)また、会社内で1人が品位のないメールをだすと、会社全体の質が疑われますから、社会の管理の徹底も必要になることでしょう。

※「境界線」=畳の縁、神社の結界と考えるとよくわかります。

シルバーあさみの心眼コメント

昭恵夫人と籠池夫人の数十件におよぶメールは、なぜか携帯が「水没」したといういい訳をしましたが、(とてもわかりやすい「いい訳」ですね)、ところがその後、両名の携帯の内容がリークがされました。そのやりとりは、どれ1つとっても「境界線」がなくて倫理もかなり低いです。かなり「唖然」とした方々もいるのではないでしょうか?「境界線」がないと「依存関係」になってしまいます。相手が畳の縁を踏んでいい、踏ませてもいい、という証拠をつくっているようなメールのやりとりです。しかし、数年前から数回の私と昭恵夫人と個別のメールのやりとり時には、とても丁寧に倫理的でございました。私が上記の倫理をまもって「境界線」を守って書いたからでしょう。(首相の奥さまと一民間人と私はわきまえていました)真の倫理とは相手に左右されてはならないという「境界線」のゆるさが互いに感情的になってしまった多大な敗因があるでしょう。今日学んだ方々は、私情・感情を交えたメールだけはしないように徹底していきましょう。