「私の原点!禅(ZEN)の道を極める覚悟と訪れた一大転機とは!?」

「私の原点!禅(ZEN)の道を極める覚悟と訪れた一大転機とは!?」

これまで女性起業家として茶道運営と懐石マナー教室、陶磁器会社を起業された他、
アパレルでのセレクトショップの代表を務めるなど多くの経験と実績をお持ちの、
シルバーあさみさん。現在は株式会社アップライトの代表取締役として幅広い事業を展開されています。
そこでこちらのコーナーでは、シルバーあさみさんの人物像に迫りその魅力を深堀りすべく、インタビューを通してシリーズでお届けしていきたいと思います。

まず第一回目は、シルバーあさみさんの人生の転機となった「禅」との出会いについて。
ご自身も「私の人生の原点」とおっしゃっている禅の魅力とは一体どんなものなのでしょうか?
禅との出会いから厳しい修行時代、そしてそこから学んだ深い思想哲学について、
4回シリーズでお届けいたします。(取材記者・T/K)

◆第一回:禅(ZEN)との出会い①

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Q まずは禅のお話を伺う前に、シルバーあさみさんの幼少期〜青春時代についてお伺いしたいと思います。どんな時代を過ごされてきましたか?

幼少期から青春時代は、ずっと出口の見えない「闇」のなかだったと思います。私の場合それは両親の影響も大きく、家庭不和の環境のなかで「父も母もお互いに本当はうまくいきたいと思っているのに、なぜ喧嘩ばかりするんだろう?」、「なぜ大人には表裏があるんだろう?」という疑問を抱えながら、いつも不安と葛藤を抱えながら生きていた気がします。そのため何もかも納得がいかず、誰も信じることができず、自分の悩みさえ打ち明けることができない状況で、完全に心を閉ざしていたんです。でもそんななかで唯一、祖母と過ごす時間が私の唯一の救いであり、光だったのです。

Q お祖母様とはどんな時間を過ごされていたのでしょう?

祖母は表千家で60年お茶をやっていた人で、茶道の先生でもありました。それで私も高校生になってから週に一回、祖母のもとに茶道のお稽古に通い始めたんです。当時、麻布の自宅から西千葉まで毎週休みなく通っていたんですが、無心で打ち込むことができたのも、祖母から教わる茶道、それからお茶室にいる時間が、混乱している心を唯一ときほぐしてくれる「聖なる空間」だと感じたからだと思います。でも実際にその時の私の心に響いていたのは、茶道だけではありませんでした。茶道のお稽古の後には、いつも決まって祖母と過ごす時間があったのですが、その時間こそ、私にとってはとても貴重で宝物のようであったと記憶しています。たとえば祖母は太陽を見上げて「太陽さん、ありがとうね」と言ってみたり、ふと庭に目をやって「草木はた“そこにある”のに、人間だけがわがままで不満を言う」といったことを、不意に口にするのです。その他にも「もったいない」と言って古い日用品を捨てずに何十年も大切に使い続けていたり、洗剤を使わずにきれいに食器を洗ったり、雑巾を専用の洗濯板で洗っていたりー。私は茶道を離れた、日常生活の中でもふとした仕草や言葉遣いがとても美しく、どんな時も誰に対しても感謝の心を忘れない明治生まれの祖母の姿を見るたびに不思議と心が和らぎ、真実を見出し始めている自分に気づきました。そしてそんな祖母の姿を見ているうちに「生きるということを本気で極めたい!」と思うようになっていきました。そしてそんな時、人生を変えるような大きな出会いが私を待っていました。

Q シルバーあさみさんの人生に大きな影響を与えた人物。それはどんな出会いだったのでしょう?

ちょうど短大を卒業して商社で秘書として働いていた頃のことでした。当時はバブルの真っ只中だったので、お給料やボーナスも申し分なく、その上まわりには尊敬できる同僚や上司ばかりで、何一つ不満はなく恵まれた環境の中で働いていたのです。でも会社勤めをしながら一方で、相変わらず祖母との時間が大好きでお茶のお稽古にはずっと通っていました。

そんなある日のこと。祖母が大尊敬する数江瓢鮎子(かずえ ひょうねんし)先生が恒例の茶事をされるということで、祖母に連れられ新宿の柿傳に一緒に伺ったのです。私は常々、数江先生がいかに素晴らしい方かということを祖母からよく聞いており「茶道の世界でも千利休が本当に後世に残したかった茶事を極めている人はほとんどいない」と知っていたので、その日は特別な席だということだけはよくわかっていたつもりです。
柿傳に到着すると、まわりは50代、60代の高名なお茶の先生たち、老舗の料亭や和菓子屋さんのご子息など、錚々たる顔ぶれのご婦人がいらっしゃいました。
そうした雰囲気の中で、先生が茶事を執り行う姿や佇まいに並々ならぬものを感じ、私はその場で「この方に師事したい!」と、とても強く思いました。
そこで私は茶事の途中、水屋にまわり障子をバン!と開け「先生のことは禅の哲学家でいらっしゃると祖母からよく聞いております。
私は生きること、それから禅の世界を極めたいんです。私を内弟子にしてください」と、開口一番、先生にお伝えしたのです。
あまりにも無礼で突然のことである上に、大切な恒例行事のお席でもあったので、
当然まわりのご婦人方からは刺すような目つきで見られたことは言うまでもありません。
それでも、私は本気で「今だ!」と思ったので、考えもせずに行動したんです。

Q お会いした当日のことですよね? ものすごい行動力と決断力に、ただただ驚くばかりです! そこで先生はどんな反応をされたのですか?

そうですよね。でも私は昔から「思い立ったが吉日」の人で、ピンときたらすぐに行動するタイプの人間なので。それは昔も今も変わりません。
先生はその時「ほほう、伊藤忠さんにお勤めですか。それでも茶道を極めていきたいということですね」と。
祖母が長年、茶道家であったこともあり「◯◯さんのお孫さんですね。それでは改めて出直しなさい」と一言、微笑をもっておっしゃいました。
随分、大胆な娘だと先生も感じただろうと思います。

Q 突然のことでびっくりされたでしょうね。それで、伊藤忠商事を退職されたのでしょうか?

はい、そうです。でも私の心に一切迷いはありませんでした。会社に対しては全く不満もなく、むしろ恵まれすぎていたくらいですが、それでも「生きることを極めたい!禅の道を歩みたい!」という気持ちの方がはるかに大きく、揺るぎない信念だったんです。それからあの時、何かに突き動かされるような感覚もありました。ですから上司には自分の気持ちと意向を正直に伝えました。当時はバブルの一番華やかな時代で、世の中は海外旅行もさかんで、女性は花嫁修行といったムードでしたから、そんな私を見てまわりは「なぜ今、禅の道を?」「大丈夫なのか?」といった反応で、何度も引き止めてくださいました。それに「150倍の倍率で入社したのに、茶道で辞めるなんてもったいない」と。それでも自分の心に正直でいたかった。一度これ!と、決めたことはどうしても貫きたかったんです。
そうやって会社の担当の引き継ぎもあるのでしばらくは仕事をしながら、
先生のところへ通いながら本格的に弟子入りする準備をしていきました。

Q ものすごい覚悟の20代ですね。その時、お祖母様ご両親の反応も気になるところですが。

祖母は数江先生の茶事があった当日にさっそく母を呼び出し、事の経緯を話していました。今でもあの日の光景は忘れられません。祖母と母は「この子は何を言ってるんだ。数江先生は全国で何十万人も尊敬している方がいて、茶道の家元も尊敬しているような方なのに、弟子入りするとは何事だ」といわれるかと思ったら、
祖母も母も千鳥ヶ淵の桜を眺められるホテルのラウンジで静かに話をきいてくれました。
私が「生きることを極めたい!」ということをはっきりと伝えたところその想いを尊重して、すべてを受け入れてくれたのです。決意が固いことを二人とも汲み取ってくれたのか、否定したり踏みとどまらせようとすることは一切ありませんでした。私はそのことにとても感謝しています。両親は喧嘩ばかりしていましたが、私の人生の選択を尊重して認めてくれました。これは大きかったです。そのことは今でも私の人生の土台であり自分の選択を信頼して伸びゆくところ、になっているように思います。(取材記者・T/K)