厳しい禅(ZEN)の修業に一心に取り組んだ、奇跡の20代! そこから見えてきた真実とは?

厳しい禅(ZEN)の修業に一心に取り組んだ、奇跡の20代! そこから見えてきた真実とは?

まだまだ若い20代の前半に「生きることを極めたい!」という一心で、禅の哲学者・研究者であり、茶事の大家でもある数江瓢鮎子(かずえ ひょうねんし)氏に師事することを決意した、シルバーあさみさん。師匠とお会いした当日に弟子入りを志願し、その意思を即座に伝えた意思の強さと行動力にはただただ驚くばかりですが、いざ修業が始まってからはどんな日々を過ごされていたのでしょうか?

伊藤忠商事株式会社の秘書を辞めてからすぐに入門した、禅の修業で待っていた厳しくも奥深い世界とはいったい?
第二回目は先生に師事されてからのお話を伺いました。(取材記者 TK)

第二回:禅の大家に入門! 厳しい修業の日々

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Q 前職を退職され禅の道に入られていますが、修業の日々はいかがでしたか?

会社を完全に辞めて先生のところにお世話になり始めてからは、文字通り「朝から晩まで」約6年間、休みなく働き続けました。それから数江先生が内弟子制度をされていないこともあって私は秘書としてスタートし、先生のお茶室には毎日通うことになりました。朝は5時入り、終了は23時ということも当たり前でした。そんな毎日だったので、まわりの人からは「さぞ厳しく、大変だったでしょう?」と言われることもよくあったのですが、私自身の気持ちはとにかく「本物の禅の修行をして生きることを極めたい!」という一心でしたので、大変だとか疲れた、という気持ちは起きませんでした。それよりも毎日のことに精一杯で「今日の日を私なりに精一杯やろう」、「昨日の自分よりも向上しよう」という思いの方がずっと強く、それが生きる糧になっていたように思います。でもさすがに弟子入りしたばかりの頃は何一つわからないまっさらな状態だったので、戸惑うことは随分とありましたけれど…。

Q 確かにそうでしょうね、お察しいたします。具体的には先生からどんなお願いをされるのですか?

先生からご指示いただくのは、決まっていつも当日の朝だったんです。「さみさん、今日は◯◯があります。だから◯◯を準備してください」といった具合です。(先生は、私を、あさみさんではなく、さみさんと呼んでいました)
しかもそれが一件や二件の話ではなく、非常に忙しい方でしたから毎日複数のお仕事を抱えていらっしゃったんですね。しかしそんなタイトスケジュールの中でも、前日からの準備やシミュレーションというのが一切できないのです。通常会社勤めをしていていれば、大抵はスケジュールが決まっていてそれに沿って日々の業務を進めていきますね。でも先生のもとで修業さえていただいた間は事前に把握できているというのは本当になくて、いざ当日になって初めてその日の予定が分かるんです。だから始めは戸惑うことも多々ありました。
でも、知らされていないからといって「絶対に失敗は許されない」という無言の厳しさがあった。だからこそ毎日一分一秒、本当に真剣勝負で、先生の姿を見ながら必死で覚えるという姿勢が身についたと思います。

さらに先生が会得されている茶事の文化は、千利休の時代から口伝のみによって受け継がれてきた “門外不出の奥義” でしたので、丁寧に、そして心からの敬意をもって向き合うべきものとわかっていました。もちろんメモや口外は厳禁。その奥義を会得するためには、只ひたすらに「見て、察して、真似て、実践する」ことを繰り返し、体で覚えていく。そうやって一つ一つの所作や佇まい、一瞬の中にしか生まれない唯一無二の空気感といった美しさの本質といったものを、微細にわたって、まさに “身をもって” 学ばせていただいたのです。
そうした中で私は「地道に一つのものを極めようとしていく過程こそが自己鍛錬であり禅の道なのだ」ということが次第にわかるようになっていきました。
毎日が自己鍛錬の場で、粗相も絶対許されないという厳しい世界ではありましたが、それによって自分自身の魂が磨かれ、芯が強くなっていったと思います。そして尊敬する祖母がいつか話していた印象的な一言 “あるがまま” の境地も、少しずつ理解できるようになっていきました。

Q はかり知れないほど奥の深い世界ですね。当時はまだ20代なのに、一心に修行されて極めようとされていた姿に心から感動しています。

ありがとうございます。確かに私にとってあの六年間は、言葉では語り尽くせないほど貴重な時間でした。でも今となってはすべての学びと気づきに、ただ感謝しかありません。
それから数江先生は古文書を原文のまま理解することができた方であったので、漢文や漢詩への理解も非常に深く、そんな先生のお話をじかに聞きたい方もとても多かったのです。そのため専門である茶事とは別に、お家元やお茶の先生、和文化の研究者の方々に向けて、500人や1,000人規模の講演会もよくされていました。もちろんそういった時にも準備は当日で、私は早朝からスタンバイして、シミュレーションしたり、状況を読みながら瞬時に判断をしていきます。たとえば明治記念館で行われた講演会では「松竹梅」にお席を分けて、資料の準備からお茶やお菓子の手配、受付と会場の方以外、すべて私が一人が段取りを任されていました。
でも毎回テーマも違えばセッティングも違って。それに加え場所も東京だけでなく全国各地に呼ばれて行かれるので、瞬時の判断がすべてを左右する世界でした。今では懐かしい思い出ですが、大事なお茶席があると当日「さみさん、お茶碗を京都の◯◯から持ってきてください」、「金沢の◯◯様をお尋ねして、掛け軸をお借りしてきてください」と言われることも日常茶飯事でした。新幹線に飛び乗って一日に京都と東京を二往復したり、東京に戻ったらまた次の現場が待っていたりー。他にも先生の大切なお茶碗やお道具を運ぶのも私の大切な役目でしたので、鞄持ちもさせていただきました。当時はちょうど宅急便が出始めの頃で、先生の所有されているものは大変高価で美を極めた本物ばかりだったので、信頼している人にしか絶対に触れさせたくなかったようです。おそらく重さは30kg位はあったかと思いますが、それも大切に丁重にお運びしていました。今思えばあの頃は毎日が必死で、日々目まぐるしくあっという間に一日が過ぎていきました。

Q 準備から段取りまで、大切なお席をすべて任される、シルバーあさみさんに対する数江先生の信頼がどれだけ厚かったか、ということがよく伝わってきます。

そうですね、それは確かにあったと思います。私の習得が早かったのか、比較的早い段階から先生の持ち物の管理や大事なお茶席の水屋の準備まで、多くをお任せいただくことができました。何かあればすぐに「ここは、さみさんに…」と言っていただき、信頼いただいていることは直接言葉にされなくても自然と伝わってきました。
それから「君はとても間合いがいいね」と褒めていただいたこともあります。ご存知のようにお茶の世界では “間” というものがとても大切で、間から生まれる文化・美学といっても過言ではありません。ですので、先生からのその一言は私にとって本当にありがたく、今の自分の礎にもなっているとも思います。そしておそらくこれは、伊藤忠商事時代の秘書の経験も生きていたように思います。もともと所業はもともと得意な方で、相手の求めていることや現場で起きていることを敏感に察知して即座に対応するのは性に合っていたのでしょう。禅の修業の場合はもちろん、ただその場をこなせば良いという付け焼き刃は絶対に通用しませんが…。だからこそ、「今この瞬間にどれだけ相手の心や背景に想いを馳せ、それを表現することができるか?」ということが常に試されて、それが私にとっての修業の道だったのです。それは目の前にいる方だけでなく、たとえば茶器や茶道具を作られた職人さんや畳職人さん、さらにお米を作る農家の方々にも敬意と感謝の気持ちを持ち、常に相手を思う心を “今” に表現することが問われます。
つまり禅の真髄とは、常に未完成であり終わりのない道であって、実践の中でしか真実は見えてこないということなのだと思います。そして、この道を一生かけて極めていこうとする姿や今この瞬間に精一杯生きようという信念、そしてその生き様のなかにこそ本物の “美” というものが生まれてくるのだと思います。。(取材記者 TK)
(続く)

第一回目の取材記事はこちら↓