華やかな世界の中で人知れず背負い込んでいた苦悩!そこに訪れた魂のメッセージとは!?

華やかな世界の中で人知れず背負い込んでいた苦悩!そこに訪れた魂のメッセージとは!?

もう立ち直れない!と思うほどの “どん底” 時期を乗り越えて、一大決心の末に2,000年8月に自由が丘にセレクトショップ「アップライト」立ち上げた、シルバーあさみさん。今回はお店がオープンしてからの日々と、華やかな世界の中で人知れず苦悩していた心情を赤裸々に語っていただきました。(取材記者/ TK)

第二回:やっとの思いでお店がオープン! でもやっぱり決定的に何かが欠けている。

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Q 紆余曲折ありながらも、晴れて自由が丘にセレクトショップをオープンされたのですね!

はい。物件探しに始まり仕入れや資金繰りのこと、それから自分自身をまた一から立て直すことも含めて一つ一つを受け止め乗り越えながら、
2,000年の8月に何とかオープンに漕ぎつけることができました! 記録的な猛暑の夏真っ盛りの時期でした。
オープンまでにはいろいろあったんですけれど、もちろん自分一人の力だけでは到底できないことでして……。
伊藤忠商事時代の上司や同僚の方々をはじめ取引の契約をして下さった皆さん,
応援してくれた友人や知人の方々など、たくさんの方々のご協力をいただくことができたおかげで、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
そしてたくさんの皆さんのご協力あっていざスタートしたわけですから「やるからにはしっかり経営をしてお店を繁盛させて、
お世話になった方々にご恩返しができるようなお店にしよう。そしてお客様に愛されるお店にしよう!」と、心に誓いました。

Q そうでしたか。ちなみに商品のセレクトはどのような基準で選んでいたのでしょう?
やはり、シルバーあさみさんならではのこだわりがありそうですが。

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そうですね。やはりそこはすごく大切にしていて「どこにもないお店」ということは最初からかなり意識して、商品のセレクトをしていました。とくに当時はセレクトショップブームでもあったので、渋谷〜代官山、自由が丘にはありとあらゆるセレクトショップ店がひしめいていたんですね。個人店もありましたが、大きな資本が入っている店もあったので、ブームとはいえ、私のお店にしかない個性や魅力を打ち出していかなければ人も集まらないし、生き残ることだってできないー。
一見華やかに見える世界かも知れませんが、決して甘くはなかったのです。

幸い私は、伊藤忠商事のつながりで良い商品に恵まれたのでそちらでお取引させていただける商品を半分、一方残りの半分は展示会などに行って自分で見つけてきた商品を大切に選んでいきました。定番のスタイルをオシャレに見せる比較的スタンダードな商品と、ポピュラーは置きたくない!個性的で自分らしさを際立たせてくれる商品の、主に2ラインでセレクトしていました。「山の手カジュアル」と「ナイスなセミコンサバ」です。大変素晴らしいもの作りをされているブランドでデパートには置きたくない、というところなんかもあってそのようなコンセプトが当店と気が合って・・(微笑)。そういったところとはすぐに意気投合して、「ここでしか買えない」商品、アップライトならではのラインナップが徐々に出来上がっていったんです。独自の販売セレクトと、オリジナル商品の充実が強味ですね。

Q 商品セレクトでも当時から“独自目線” が光ってらっしゃったんでしょうね。当時の様子が目に浮かぶようです。ということは、いろいろありながらも順調なスタートだったのですね?

いえ、それが順調どころか、これが本当に大変でして……。最初の二年間は、経営が全く安定せず、非常に苦労しました。
もちろんオープンしたばかりの頃は友人・知人たちも応援隊できてくれましたし、目新しさもあって新しいお客様も来て下さってはいたんですがなかなかリピーターにまではならないとか……。あとはお客様が多い日と少ない日、よく売れる日と売れない日というふうに、常に浮き沈みがあったんですね。でもそんな状態が続くようでは、やっぱりお店は維持できない……。本物の繁盛店にするためにはコンスタントに買ってくださるお店のファンや顧客の存在がとても重要で、そのことは陶磁器会社の経験でよくわかっていましたから、そこを魅力的に強くしなければ、とも思いました。同じ経営とはいえ、この時は本当に一からのスタートだったので、まさに正念場、といったところでした……。

Q やはりそこは経営ですから、数字に如実にあらわれるのでしょうね。月々の支払いなども大変だったのでは?

はい、まさに。店舗の家賃の支払いですよね。うちのお店は2階の14坪の敷地だったんですけれど、自由が丘は当時から、路面店だと表参道クラスで土地単価が高いので、2階とはいえ決して安い金額ではなかったんです。始める時は全く資金がなかったので銀行融資を受けてはいましたが、内装や備品もこだわっておいていったので設備投資もかなりしました。
それから当時のアパレル業界のセオリーで、約半年前に商品代を前払いしなければならない、という暗黙のルールもありました。だからそこは仕入れるからには売れないとさらに厳しくなるわけで……。そこのプレッシャーも大きかったですね。
そんなわけで毎月100万円単位の請求書が30社位から届くので、もう本当に追い詰められた状態で……。今だからこんなふうにお話できるんですけどーー。
そんな状態ですから、せっかく伊藤忠の上司からご紹介いただいた大切なお取引先にも気持ちよくお支払いできないこともあって、実際に土下座ですよね、もう……。もちろん
「今月はお支払いができないので、申し訳ありません!!延滞できませんか?」というように誠意をちゃんと見せてお詫びはしていたんですが、
ご好意で応援してくださった上司にも顔が立たないし、性格上スパッとお支払いできないことが自分を許せずにものすごく嫌で、精神的にもかなりこれは応えていました・・。
「次回のお支払いが遅れたら、取引は停止します」というところもありました。当然ですよね。でもその一方で「あなたなら、すぐうまくいく、絶対大丈夫!」と、信じて応援してくださる懐の広い方々もいて、、人間修行でしかない、身が細るような日々ですが、「いらしゃいませ」と「ありがとうございます」は、懸命に伝えていました。
厳しい時ほど歯を食いしばって、笑顔風で仕事をしていました。
当時はお客様も含めて本当にいろいろな方にお会いしましたが、
切羽詰まった状況の中で、人の優しさがこれほどありがたく、身に沁みた時期もなかったかも知れません・・。

Q そうでしたか。人は苦しい時ほど、人の優しさが身にしみるものですよね。

はい。ですから、そういう時に助けて下さった方には本当に感謝してもしきれません。
お客様でも何も口にはしないのに、大雪の中をわざわざ遠方から来店してくれてたくさん買って下さる方もいらしたりしてーー。本当にありがたいですよね。
でももちろんそういうお客様ばかりではなく「自由が丘にお店なんか出して、あとどれくらいもつのかしら〜」なんて、嫌味を言ってくれる方なんかもいて。
言わなくてもいいのに、わざわざそういうことを言ってくるわけです(苦笑)。きっと、私の内面が荒れていたからでしょうー。

Q 確かに、そういう方もいらっしゃるでしょうね。そんな時は、どう気持ちを切り替えたのでしょう?

もちろんね、私も人間ですからその瞬間はムカッとするわけですよ(苦笑)。でも、すべては自分に “因” があると分かっていたので、そういう方に対して一瞬でも腹を立てている自分にエゴがあるんだ、と考え方を改めるよう努力しました。とはいえ、始めはやっぱり難しくてどうしても嫌な感情の方が優先してしまってーだからカチンときたらまたやり直して「振り出しに戻る」みたいな感じでー(笑)、自分を繰り返し何度も見直していきました。そんな風にお客様のありのまま姿を通して、中に潜んだ己のエゴをずいぶんと発見させてもらうこともできました。とても感謝しています。
あとはお店を開ける前に毎朝掃除も、欠かさず、
これも禅の修行の習慣で、一滴も雫が落ちないように固く絞った雑巾でまず床をきれいに拭いて、最後に乾いた雑巾で仕上げる、ということを徹底して行いました。

Q そうやって整えて、整えて、それでもまだ整えてを繰り返して、ご自身を見直されていかれたんですね。

そうです。でも実は他にもまだあるんです……。
私は一度来ていただいた方から常連の方まで、お客様のリストを大切にしていたので、
お医者さんのカルテのように「あ」〜「わ」行まで、お名前になっている顧客リストを用意して、
そのお客様のお顔を思い浮かべながら閉店後に「ありがとうございます、ありがとうございます」と、
繰り返し唱えることも習慣になっていました。
やはり数多く洋服店がある中で、お店にお越しいただけるということ自体とてもとてもありがたいことだと思っていました。
毎晩8時にお店が終わってから一時間は「カルテで顧客様にありがとう」をしていたでしょうか。これも6年半はしました。

それでも安定しなかったので、まだまだ自分には “因” があると思って、一日、半日、一時間、10分というように時間で自分の言動や神経の動かし方、心遣いまでとことん見直していって。魂を磨きました、先ほどの嫌なお客様の話じゃないですけど「なんで?」と、少しでも負の感情が起こったらもうアウトです(笑)。
そしてそこまで魂磨きに徹底して実践しても、一向に思うような結果があらわれてこなかったので、ついには、
次は5分、3分、1分とさらに細かく時間を区切って、常に己を振り返り、お客様には精神誠意、真心を込めて接客ができるようにつとめていきました。

Q 本当に何から何まで徹底されていますね。さすがに今度こそ、変化があらわれたのでしょうか!?

いえ、それが……そここまでやっても現象が変わらないのは、なぜだろう?と思ったんですけれど、そこにはやっぱり自分の中に悪しき種があるんだ、と思って取り組みました。

そんな時のことです。相変わらずお客様の数にも売り上げにも波があった状況で、いよいよお金に困り生活にも窮して、
お米を買いたいと思っても2,000円の米袋さえ買えないという事態に追い込まれてしまったんです。お財布をいくらふっても、本当に一銭も出てこないような状態で……。

その時に「あっ!」って・・。ハッとなった目覚めがあったんです!

Q 突然、何が起こったのでしょう?

その時、父の顔が真っ先に浮かんできたんです。お父さんへの感謝の気持ちが足りなかった、と。
小さい頃に両親が不和だったので良い思い出はなかったけれど、父は家族のために一生懸命働いてくれる人だった。それなのに私はお礼一つ、まともに感謝の気持ちを伝えたこともなく、反抗してみたり「振袖を買ってほしい」「ハワイにいくから費用をください」と、ただ求めるばかりで、父が育ててくれたことを、どこかで当たり前に思ってしまっている自分がいた。家庭不和の環境からなんとか抜け出したくて、生きることを極めたくて数江先生のもとで修行してきたけれど、どんなに一生懸命修行しようと、お客様に感謝の気持ちで接することができたとしても、ダメなんだ。私を育ててくれた、血の繋がった一番身近な存在である父に、心から感謝できていない自分—。
そのことが原因だったと、その時にすべては悟れたんです。「必然」です。

Q ひたすらに自己を見直して、最後の最後で行き着いたのが、お父様への感謝の気持ちだった、ということですね。

そうです。そのことが決定的だったと思えます。
今でもその時のことはハッキリと覚えています。いつものように拭き掃除をしていたんですが、その時にツーって頰に涙が伝って。私これまで、本当に苦しい時って一粒も涙が出たことがなかったんですけど、あの時はきっと因果の “因” がやっと分かって、その瞬間にやはりものすごい解放が起こったんでしょうね。
今思えば、あの時の涙は“魂の雫”だったのかも知れません。

その次の日から、お店は一気に大繁盛し始めました。本当にびっくりするくらいに、何もかもが変わったんです!
ハタから見てもその変化はすごかったみたいで「一体あのお店に何があったのかしら?」と言う方までいらして!

私は禅の修行をしていたから、それまでも父母への感謝というのはわかっていたつもりだったんです。でも心の底からは、できていなかった。
でもそれに自ら気づくことができた瞬間からある日突然、その日を境に本当に180度、世界が変わってしまった。
それはちょうど、オープンから2年経った頃のことでした。
(取材記者/ TK)

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