どん底状態から再起をかけてスタート! セレクトショップをオープンさせるまでの道のりとは?

どん底状態から再起をかけてスタート! セレクトショップをオープンさせるまでの道のりとは?

禅の研究家であり哲学者としても著名な数江瓢鮎子氏に6年半師事した後、
師匠の信頼もあって都内3カ所で茶道教室運営と懐石マナー教室を主催して、
さらに陶磁器会社も起業し、短期間のうちに成功を収めたシルバーあさみさん。

しかし女性実業家として順調に邁進していた最中で突然全てを手放し、生死をさまよう経験をされます。
しかしその後2000年、再起をかけて新たに自由が丘にアパレルのセレクトショップをオープンすることを決意されました。
今回はそんなシルバーあさみさんに、どん底の時期を経て、なぜアパレル業界で独立しようとされたのか?
その動機と「アップライト」オープンに至るまでの日々について、お話をお伺いしました。
(取材記者/ TK)

第一回:再起をかけて立ち上がる! ならばやっぱり好きな道を歩きたい!

interview-005-01

Q 当時はきっと数江先生やご祖母様のご期待も大きかったのだと思います。それなのに……なぜ全てを手放されることになったのでしょう?

確かにそうですよね。数江先生のもとで修行させていただけたおかげで、その後は茶道教室を三軒、さらに陶磁器会社もやっていて短期間のうちに1億円企業にまで成長させることもできた。経営もうまくいっていったのでハタから見れば、まさに順風満帆な人生に見えていたのかも知れません。でも実際には自身のエゴも多く、生意気で違っていたんでしょう……。

当時の私は、もう這い上がれないと思うほどの “どん底状態” になる出来事が起きたのです。

Q そうでしたか……。陶磁器会社の経営は至って順調であったのに、精神が安定していたわけではなかったのですね。

今思い返してみても……はい。追い込んで生きていますから、精神状態はボロボロで、さらに体にまで心労がきてしまって、本当に本当にキツかった。すべてを手放して、どん底の一番ひどい時は口もきけないし耳も聞こえなくなってしまって、ベッドから起き上がれない状態で……。そんな風に一人でずっと塞ぎ込んでいたので、もう生きていること自体が辛くて「いっそ死んでしまった方が楽かも知れない」と思ったことさえあります。
そんな暗幕のカーテンの時期が10ヶ月位は続いたでしょうか……。

しかし私の場合は幸い、禅修行を通して「どんな時も自分を省みる」という見方がすっかり染みついていたので、
この現象をつくり出しているのは自分の心にある、「 “因” は自分の内側にあり」ということだけは、ハッキリとわかっていました。

「すべての因は己にあり」

確かに茶道教室も陶磁器会社も順調で、短期間で軌道にのせることができた。そしてそれはもちろん、数江先生のおかげであり、その恩恵が大きかったからということもよくわかっていました。でも、そう頭ではわかっていたつもりでも、当時の私は心のどこかで「これは自分の頑張りの成果」、「私は正しい、だからうまくいった」「最初から能力がある」と、過信してしまっていた部分が、きっとあったのだと思います。・・おごりですね。

闇の中でひたすら自分と向き合い、自身の因を見つめ直していくうちに、ある日そのことに気づき、ハッとしました。
自分自身の一時の “心のおごり” が、すべての原因であると。そして自分の心の影やエゴの部分が現実に投影されて、
私はこうしてどん底に突き落とされてしまったのだ、と。だからそれは、当然の報いだと思いました。因果応報です。

Q どんな時も「自分を見つめ直す」という姿勢、素晴らしいと思います。ではそんな気づきの瞬間から、どうやって立ち直っていかれたのでしょう?

はい。暗闇の中で一度は死ぬことまでも考えたけれど、私はここで決して終わるわけにはいかない・・。
それでも私はやっぱり「生きる」ということを選択したい!と、その時強く思ったのです。かつて禅修行に入る時もそうであったように「どんなに深い闇の中にいたとしても、そこには必ず貴重な学びがあるから起こっていること。そしてそこを乗り越えた先に必ず光がある」という原体験がありまいた。だからこそ、再び立ち上がることができたのだと思います。
そして再び生きるということを決意したからには「今自分の最も詳しいことで、さらに一番好きなことを選びたい」と純粋に思いました。
その時に「ああ、私はやっぱり大好きなアパレルの分野で自分を生かしていきたい、洋服を提供する店、選ぶのも大好き、そこに起業のヒントがある」と思ったんですね。

Q たしかに、シルバーあさみさんは商社の繊維部門にいらしたご経験があられましたね。やはりそのことは決断にあたり、大きかったのでしょうか?

はい、おっしゃる通りです。やはり私が伊藤忠商事で働いていた頃って、今振り返ってみても本当に特別な時代だったと思うんです。バブル全盛期に加え、さらにその波に呼応するようにアパレルにものすごく勢いのあった時代でもあったので。その中でも世界一位の売上高を誇るトップの伊藤忠商事のさらに繊維部門というと、伊藤忠商事の看板部門であり、本当にありとあらゆる一流の素材が世界中から、また日本各地から集まってきていているという、億の取引が毎日決めるような恵まれた環境にあったんです。その部門では反物生地にはじまり多種多様なマテリアルやボタン、糸まで、膨大な色見本が社内のあちこちにゴロゴロ転がっているという状態で(笑)。そんな一流の素材に囲まれながらバリバリの企業戦士たちと四六時中仕事をしていたので、当然素材の知識は身についていきますし、それだけでなくやはり本物を一瞬で見抜く目利き力といいますか、
素材のクオリティを見る目も自然に養われていったと思います。
ですから伊藤忠商事での貴重な経験の中で培ったものを私の財産として、それを最大限に活かせる仕事、
さらに10代の頃から洋服が大好きだった私の得意分野を活かせる仕事をと思い、セレクトショップをやろう!と決意したんですね。

Q そうなんですね。でも、そこまで落ち込んでいらっしゃったのに、
また独立起業しようと思われた。やるからにはとことん!という姿勢が、何ともシルバーあさみさんらしいですね。

確かにそう言われてみれば、そうですね。どん底だからといって、とりあえず生活のために好きでもない仕事を、という選択肢はなかったですね。昔から嘘がつけないタイプというか、いつも自分の心に正直でありたいと思っていたので「どんな状況でも、自分の好きなことや得意分野で身を立てる」っていう気持ちだけは、絶対にありました。
この時もすでに起業家頭になってますよね、私(笑)。うん、独立以外は、まったく、考えなかったですね・・。

でも、もちろん決して甘くないということはよ〜くわかっていた。
なぜなら私はアパレル業界の中にいた人間なので、余計にその世界の厳しさを目の当たりにしていたからです。
もちろん業界にいた強みとして、ショップをオープンさせるまでの段取りまでは発注経路はわかるけれども、その分仕入れの難しさやお店を維持していくことの厳しさ、
自由が丘の山の手を求めるお客様の目がシビアである、ということも始めから全部見えて感じていたんですね。そもそもショップをオープンさせるための資金はおろか、
何もかも持っているものはない、そう、全くなかったです……。
セレクトショップを出すって華やかで夢物語のように思えるかも知れませんが、現実はものすごく厳しかったんですね。

Q そうでしょうね。実際に独立となると、あらゆる難題が身に降りかかってくるでしょうね。ではそこでどんなアクションを起こされたのですか?

そこはやはり真っ先に昔の上司にご挨拶に行って、取引先をご紹介いただけるようにお願いしました。どんなにセレクトショップをやりたいと思っても、そもそも目にかなった商品が並ばなかったら始めることができないので……。なので、まずはそこからでした。新店舗が取引を決めるというのも実はすごく難しくて、それなりの実績がアパレル業界でないと、全く相手にしてもらえないんですね。でもそこはさすが伊藤忠の力で、当時アルマーニをはじめ錚々たるブランドを日本に上陸させていた超やり手の方々の秘書だったので、おかげ様で、良いブランドとどんどん取引が決まっていったんです。本当にありがたく、元上司の方々に頭が下がる想いでした。あのときは、本当に人に助けられることを知りました。
そんな風に昔のご縁をたどってお願いしたところが約半分、
それから残りの半分は自分で展示会に行って本当に気に入ったものだけをセレクトして探してきて、
オープンに向けて徐々に商品が揃っていくようになりました。あの興奮は忘れられません。

Q それは幸運でしたね! ちなみに準備期間はどれくらいだったのでしょう?

そうですね。準備期間はトータルで10ヶ月位だったと思いますけど、その間はそんな風にオープンの準備をしながら、
気合をいれようと、5時起き早朝ランニングをしていました。東京タワーのまわりをぐるぐる走って、その途中は、そう、そう、皿洗いのアルバイトにいってましたね~。

Q ええっ!そうなんですか!?? 皿洗いのアルバイト、ですか?

はい、そうなんです。先ほどもお話したように、私は当時どん底で塞ぎ込んでいたので、新たに生き直す、再起をかけてスタートするからには「一から根性を叩き直さなければ!」と思ったんですね。だからまずはシンプルに体を動かすことから始めようと思って、朝は早朝5時に起きてランニングを始めた理由です。そしてその後は10時位から夕方まで、渋谷の飲食店さんにバイトで、ひたすら皿洗いの仕事をしていました。ちなみに余談ですが、アルバイトを応募した時もその後決まってからも「なぜホールではないんですか?」、「受け付けやホールの方が向いているんじゃないですか?」と言われたりもしたんです。履歴書にも茶事でもおもてなしを1万回はしていましたことも記述していましたからねー。
でもその時の私は「とにかく、この腐った根性を叩き直そう!」という一心だったので、皿洗いの仕事しか頭になかったんですね。多分その頃は、両親や、祖母や、数江先生に、懺悔の気持ちもあって、ひたすら無心で打ち込めるものを求めていたんだと思います。走って、皿洗って、生きている感じがしましたまさに、復活にかける女でした。

毎日朝ちゃんと早い時間に起きて1時間は走って、皿洗いのアルバイトを続けていくうちに徐々に自分を取り戻していく自分がいました。
ずっと暗闇で塞ぎ込んでいた状態から、少しずつ生まれ変わっていくような感覚もありました。
何よりも「私は今、太陽にきちんと顔を向けて生きている!」という清々しい気持ちになれたことも、再起には良かったのだと思います。
禅の修行が、ここではしっかり生きていたんですね。

(取材記者/ TK)