岐阜県・土岐・織部焼の大家・瀧口喜兵爾さんの手廻し轆轤55年!の極み。

岐阜県・土岐・織部焼の大家・瀧口喜兵爾さんの手廻し轆轤55年!の極み。

「日本の和」の極み人のご紹介を始めます。まずは茶道禅修業時代に中央大学名誉教授の数江瓢鮎子先生の秘書兼内弟子として数十回以上お伺いしたことがある岐阜県土岐市へ行ってきました。岐阜県・土岐市の織部焼の大家・瀧口喜兵爾さんは手廻し轆轤55年の極み人です。(昭和12年 東京浅草生まれ、昭和35年 玉川大学卒業、昭和36年 加藤十右衛門師のもとに入門、アメリカで芸術を学び帰国後、平成元年 数江先生の指導で茶道具展を三越、高島屋などで個展)「茶道具の前に三年間は食器を作りなさい、という数江瓢鮎子先生のお言葉を息子や娘に伝えながら食器を沢山作りました。茶道具の創作の修行に集中しているときに「さみさん」と会いましたね。」(シルバーあさみは当時、数江先生や陶工の方々から茶名・沙美さんと呼ばれていました)

織部焼の絵図は、桃山時代には斬新な絵柄として大名を驚かせました。世の中に出回っているのは工場生産、自動機械の轆轤が多いです。目利きならすぐわかる!
手廻し轆轤ができる古典技術がある伝統技法の陶工はほぼいないです。瀧口さんの抹茶茶碗は普通に1台50万円前後であるような大家に「シルバーあさみのセレクションのために食を美しくする器」を織部焼で創ってもらえました~!(20代で起業した時の独自の手法で燃える!)1990年~1995年のバブリーな「陶磁器ブーム」後に陶磁器業界も淘汰されて本物だけがこうして着々と継続している姿に「極み人と陶磁器の芸術技」を感じた1日でした。22年ぶりなのに惜しげもなく、轆轤手法を見せて頂きました。(創作の場面を見せることをいやがる陶芸家は多いので恐る恐るお願いしてみると、「いいですよ!」)

安土桃山時代の手法で織部焼を継続している人は瀧口喜兵爾さんに轆轤を廻してもらいました!

織部焼とは、安土桃山時代の頃(1605年~1625年)、岐阜県土岐市で始まり主に美濃地方で生産された陶器の種類です。千利休の弟子であった大名茶人「古田織部」の指導で創始され、織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器を多く生産しました。古田織部死後、一般に広がるのは江戸時代以降からです。茶道が原点なので茶人で著名な数江先生が茶道具は指導したということです。今日お話を聞くと、アメリカや大学時代に音楽や芸術も幅広く学ばれてその上で、安土桃山時代の手法のままに織部焼を伝道、創作活動を55年以上情熱的に淡々とされています。

織部焼(おりべやき)は、桃山時代の慶長10年(1605年)頃、岐阜県土岐市付近で始まり元和年間(1615年-1624年)まで、主に美濃地方で生産された陶器。美濃焼の一種で、基本的に志野焼の後に造られた。

織部焼 – Wikipedia

「岐阜県は陶器にする粘土が多い焼き物に適した土地です」

「この轆轤は55年以上も使用しているんですって~!」

「無心で創っている姿は生きる無形文化財ですよ~!」

「55年前から全くかわらない窯」

「50年前から全くかわらない窯の上の鏡餅」

「なんと!数江先生がポンと数百万円手渡して「瀧口くん、これで工房をつくりなさいよ」でできた工房です。」

「瀧口喜兵爾さんの前にたくさんある器が自由が丘ロータスギャラリーで来週から飾られます~!」

シルバーあさみの心眼コメント

大変な厳しい茶道修業時代にかなり個性的な陶工の方々の中で、いつも優しくて思いやりがあって分け隔てなく、一切のおごりもない瀧口喜兵爾さんになんと!22年ぶり~!22年の時間の経過がなかったかのようによもやま話に盛り上がって本当にご縁のありがたさを感じました。私は「日本の文化」や「日本の伝統技術」を伝えることを「シルバーあさみの公式ブログ」と「シルバーあさみのセレクション」で2017年から発信することをずっと考えていましたのでようやくルポライターの時間もできて、瀧口さんとの再会の念願もかない、瀧口喜兵爾さんの工房の様子をレポートです~。御年80歳とは思えないお元気ぶりで、スキー&ウインドサーフィン&スキューバダイビング&合唱などもプロ級です。大らかでその悟り度が織部焼の器にのびやかに現れています。来週から自由が丘ロータスカリックス・ギャラリーにも織部焼の器を飾り、「シルバーあさみのセレクトショップ」でも「織部焼の器」を扱います。織部焼多々あれどやはりセレクト眼!!「器が美的なライフスタイル」になると豊かさで目がこえると同時に「日本の陶磁器の技術」の維持継続にもなりますのでぜひ楽しみにしてください。織部焼の極み人は「悟り」と感じた次第です。「美的なライフスタイルに和の食器」シリーズが始まります。良きご縁はこうして日本の文化の極み技の啓蒙プロジェクトに繋がりました。感慨無量~。