麻布十番の老舗巡り~!地元に訪づれる度にショックな風景とは?

麻布十番の老舗巡り~!地元に訪づれる度にショックな風景とは?

地元「麻布十番」老舗巡りをしてきました~!1年に1度ぐらいしか行かない理由は「麻布十番」で育った私にとって街の風景が様変わりしていて老舗が劇的に減っている光景を見るのが切ないからです。六本木ヒルズができ「麻布十番駅」の地下鉄ができてから(当時、衝撃でした~!)マクドナルドやスタバのある普通の商店街になりつつあります。江戸時代、明治時代、大正時代から継続している江戸の商店がアメリカの巨大資本チェーン店に押し流されていく様は、「怒り→失望→諦め→根性→利用者の選択となる十数年を超えて」今もなお老舗をコツコツ継続している老舗大好き応援隊として老舗巡りに新時代前の哀愁と気力を改めて感じました・・。ご存知「元祖たいやき屋」浪花家総本家です。大ヒット曲「およげ、おたいやき君♪」の主役の名物おじさん(先輩の父親)は数年前に亡くなっていますが、私と同じ中学校の先輩兄弟が2名で跡を継いでいます。ベンツでたい焼きを買いに来る歌舞伎役者もいたり、独特の接客方法でヒット曲を知らない方々にも季節問わずブレーク中です。タイ焼きの尻尾までつまった先代秘伝のあんこと店の雰囲気が人気の秘密か、ということで「事前に予約してください」看板もあり予約しないと「たい焼き1匹」も購入できないシステムですが「3歳から来ていたんです。懐かしいわ~」を連発して見事その場で2匹ゲットしました~。「待ち時間2時間」など看板がでている老舗「たいやき屋」は甘くない強気接客が独特です。「老舗の強さ」を感じました。(明治42年創業)

「あなたの「語録カレンダー」に支えられているよ」「店ができたのは70年か80年くらい前かな?覚えてられないよ。」が粋な「月島や」


一番立寄りたかった「月島や」の今川焼を焼いている店主のおばさんに「こんにちわ。幼稚園からOLまでよく来てたよ~」と挨拶しました。しばらくしてから「あぁー大きくなって!相変わらずきれいだわねー」と褒められて「あっ、そうそう、そうそう、毎朝語録カレンダーに励まされているよ~」(母が数年前に渡した)と涙目で御礼言ってくれましたので、今川焼をごっそり多数注文したら、「そんなにたくさんすぐ作れないから30分後に来てくれる?」と言われました~。こんな感じだったな~と思い出し「おばさん、この店、何年ぐらいだっけ?」と聞くと「・・うん?70年か80年かなーわからん。」と江戸の生粋の答え方でした。が、おばさん、体が小さくなっていて、、手もちょっとまがっていた、、何万枚今川焼き焼いたんだろう、、の素敵な手のおばさん、80代かなぁ~、おじさんも数年前に亡くなったって母に聞いていたので、、と郷愁を感じていると奥からキビキビした息子さんが出てきた~。「あっ、息子さん!?おばさん、おばさん!跡継ぎいてよかったね~」と言うと2人とも笑顔でした。よかった、よかった~。

「月島や」の眼の前が「豆源」本店です。私が小さい頃は2階建ての店舗で豆のにおいがプンプンしていました。豆を職人さんが煎るのを見るのも好きでした。今は著名なデパ地下などでも人気で全国展開していますのでビルになっています。これも老舗の発展のスタイルかもしれません。デパ地下に入る前には私も茶道時代は「豆源」を土産にすると喜ばれました。外人さんにも人気な「豆源」は豆にわさびや胡椒や黄な粉をつける豆菓子として独特な江戸の文化です。江戸時代の慶応元年(1865年)創業です。

こちらもご存知「更科」総本家。但し、一族お家騒動とかで麻布内に「更科」総本家は3店舗あります。(苦笑)恐らく更科家の親戚兄弟の物別れの結果、そうなっているということですが、母は詳しいが私は他人のネタに昔から興味がないので3店舗の中では接客がいい方であろうこちらをいつも利用していました。私の禅の師匠の数江教授も「3店舗内でもこの店舗がいい」とおっしゃっていました(無類の蕎麦好きでした)。やはり歌舞伎役者や芸能人との遭遇率も高いですが誰も「サイン」も求めません。ナチュラルに街に溶け込めるので「麻布」は昔から芸能人のリラックスできる場所として秘密基地が多々あります。今は、食べログとかグルナビとかで来る方々も多い様子なので芸能人も御忍びもできないかもしれません。JR幹線のど真ん中に位置するので撮影スタジオも多々あります。大変残念なのは「更科でそば食いねぇ→麻布十番温泉で風呂はいりねぇ」という江戸っ子の粋コースがあったのですが、今から数年前にかつてドリフターズや演歌歌手や落語家もこよなく愛した本格温泉「麻布十番温泉」が消滅してしまいました・・。最後の跡継ぎは中学校の後輩で1990年代は仲良くしていた後輩ですが「固定資産税」が麻布は土地単価が相当高く引き継げなかったのかもしれません。私ももう少し早く時間ができていたら「麻布十番温泉」存続ツアーなどを企画しただろうと今も思えるほど地元民にとって大事な場所でした・・。私も麻布の祖母に本当によく連れていってもらいました。(実家は商店街ではない)寄席や舞台もあり、デビュー前のアイドルもよく舞台にでていました。


シルバーあさみは「麻布山幼稚園」に通っていました。「うぁー懐かしい~」と同時に「最悪な風景」を撮影しなくてはなりません。どの撮影カットからもこの「和の風景」をブチこわす趣味の悪いビルが六本木方面にたってしまいましたー。くそっ、とこのビルが建ってしまった衝撃は汚い言葉を使用したくもなる地元住民の並ぶ「除夜の鐘」は「麻布山・善福寺」の風情をこともはかなげに破壊して下品なビルを見なくてはならない「美的センスゼロ」のエゴ建築破壊に他ならないと悲しすぎて行きたくない理由でした。そしてこの中央の浄土真宗・本願寺派の「善福寺」の若僧侶は秋篠宮様とご学友のため秋篠宮様は「麻布十番」に行きつけの高級居酒屋店があられまして、その周りを取り巻く5件の「寺」若僧侶のご学友である私は彼らに直接聞きましたことがあります。「あ、秋篠宮さま、い、居酒屋いくの?」って彼らに大きな声で聞き返したのを覚えています。「しっ~ここだけの話だよ」(20年前の話) 私は、私のご学友の僧侶の寺をピンポン、ピンポン押しまくり(微笑)「ちゃんと真面目にお経よんでるかー」と喝をいれようと思ったのですが、全員不在でした。応対にでてきてくれた寺の職員の方には「シルバーあさみの公式ブログ」の名刺渡しておきました~。で、今日のこの記事読んでいるかなぁーまた行きます。

「麻布山・善福寺」にある5軒の寺はほぼ全て平安時代824年に創立されています。よって私のご学友たちは由緒正しき17代目、18代目でした。私は20代の覚醒してこそはいないが禅修行をしている頃、こちらの写真のある寺に「単独の墓」をたてようとして相談したら畳一畳で「2000万円が相場」だったように記憶しています。バブリーな時ですが・・そして中の一つの寺には茶室創りと茶道の指導もしていました。この人たちは跡を継ぐかどうかは生まれた時から迷っていませんでしたがやや葛藤はある様子でした(20年前の話)もう今や僧侶ですからね。当時、よく集まって生と死や哲学も話したことなども思い出してきましたので又本当に行きます。(※善福寺は平安時代、空海が関東一円に真言宗を広めるために、西の高野山に模して東の麻布山として開山した都内最古の寺院のひとつ。鎌倉時代には親鸞上人が越後から上洛の途中、善福寺に滞在しました。真言宗から浄土真宗に改宗しています。江戸時代末期には、初代アメリカ合衆国の公使宿館としてタウンゼント・ハリス以下の公使館員を迎えました。境内には、この歴史を物語る「柳の井戸」「逆さイチョウ(国天然記念物)」「ハリス記念碑」「福沢諭吉翁の墓」など種々の遺跡、文化財が保存されています。)


「麻布十番」好きでは知らない人がいない「あべちゃん」です。そう、みなが聞いたことのある「あべちゃん」です?鳥ではなく煮込んだ豚のくし刺し(やきとん)でいつも長蛇の列です。なんとか店前が空いている時に撮影しました。昭和な店舗でギシギシに狭いカウンターで食べます。志村ケンさんや志茂田カゲキさんが長年「麻布十番」に住んでいる地元民はよく利用していました。マッチや田原俊彦もデビュー前にいったであろう。この近所にはジャニーズ事務所の宿泊所がありました。人気の「もつ煮」テイクアウトも昔からできました。私は豚を頂けなくなりましたが、やはり強気の「あべちゃん」政治家じゃないよ、となりはなぜか麻布十番に「成城石井」スーパーですが(こういうのが今一だよね)「あべちゃん」がんばって存続できる迫力です。政治家じゃないよ(くどい)


老舗セレクトショップ「エムロマン」です。私も2000年セレクトショップ前に感化を受けました。超おしゃれな芸能人、叶姉妹や超仕事がうまくいっているゲイの人、おすぎとピーコさんやイッコウさんなどもブレイクする前から「ドハデな衣装はこちら!」というスパンコール好きなおしゃれ人で知らぬ人はいないだろう老舗で現在でも「麻布十番内」に3店舗があります。1枚のTシャツ3万円を普通の感覚で楽に購入できる人たちの御用達の店です。こういう独特なセレクトショップの存続は大変貴重ですね。そして麻布十番といえば、ド派手な麻布コーディネイトで一世を風靡しました。超ド派手なファッションで歩いている人がいるかとこのたびも楽しみにしていったのですが、「エムロマン」以外はやや普通になっていてこれまた残念でした。私はOL初任給で「エムロマン」で高級Tシャツをやっと購入したことを思いだしました。実際に行くといろいろ思い出しますね。古き良き時代の「麻布十番」回帰の老舗ルポライターでした。

シルバーあさみの心眼コメント


そんな古き良き時代の場所を見つけるのが大変になってきている「麻布十番」で全く、全く変わっていなかった!幼少期に遊んだ公園です。全く変わっていない、、当時はおしゃれな公園で縄跳びやかくれんぼをしました~。この石の滑り台は滑るのがおしりがヒリヒリするので段ボール紙をひくことをそばの子供たちに教わりました。「知ってるよ!ここに毎日来てたのよ~」と、5歳の子にエバりそうになりました~。(微笑)「だから何さ?」って麻布言葉でいわれないように昭和な公園がそのままである奇跡を短時間味わいながら、麻布の祖母にも本当によく遊んでもらったことを思いだして感謝感謝のこみあげた1日でした。私は地元にできること「地球の生命プロジェクト」の挨拶運動でも定期的に来ることにしました。ルポライターの締めくくりの最後には中学校の先輩が3代目で「昭和3年から!創業継続している小料理屋」に寄りました。うまかった~。ある意味、オーガニック食でした。4代目息子が挨拶に来てくれました。先輩にTSPのことと今日、地元で感じたことを様々いうと「あさみちゃんは連絡が取れない人で地元で有名だからな。特にこの10年は十番もかなり様変わりしたかなーたまには来てよ~、もうしょうがないよねーなんとか頑張るよ、あさみちゃん、10年間何やっていたの?」「アセンション作業!」「ア?ア?」「このブログを読んだらわかりますよ。」・・10年前に時間があったら・・と考えてもしょうがない・・この公園がある限り、また来まっせ!