良心と嘘、正直と虚言の差はどこから生まれるのか?

良心と嘘、正直と虚言の差はどこから生まれるのか?

こんにちわ。年間通じて自由が丘からほぼ外に出ませんので(でても表参道)大変有意義な3日間でした。「シルバーあさみの公式ブログ」が旅の3日間に1万PV以上もアクセス数が上がり「心眼旅ルポ」もいけるんだなぁ~と思いました。「リアルな行動から答えをだす」のが哲学です。リフレッシュして今後の「有料ブログ」「○□△」「自由が丘ロータスカリックスプロジェクト」などじっくり企画を考えることができたのも収穫でした。旧財閥の屋敷からの帰り道に「兵庫」⇒「大阪」⇒「京都」の駅のホームを観察していると波動、次元、意識がかなり違うということが近距離で起きているのが面白かったです。ところで兵庫県のホームには禅寺の床の間の掛け軸の「◯」「△」「□」の表示が使用されているのがシンクロで楽しかったです。関東地区ではありませんので一度方法を間違えてしまいました。間違えも肯定的に利用しようと駅員さんに乗り替え方を聞くとその対応がやはり3県府でかなり違うのも発見でした。世の中を客観的に見る習慣がつくと面白いですよ~。

嘘つきと虚言者には良心がないのだろうか?

人間って未熟なときや失敗もあるのでしょうが、嘘と虚言ができる人間にだけはなりたくありませんね。まちがったら認めればいいですし、恩を仇でかえすような人間にだけはならないようにしましょう。良心がないのでしょうか?あまり報道されない、逆に言うと報道されたら困るであろう論議の方がよほど視聴者は興味深いし、小学生もお勉強になります。「嘘をついて恥ずかしくないのか?」とか「よく虚言を繰り返せますね?」など威勢のいい野党議員が詰め寄るセリフは「そこに良心はないのか?」と詰問されても「自分に否がありません」と逃げる大人がいるんだな、良心って嘘つける人にはあまりないんだな、とか社会を知ることもできます。政治家のバトルは企業人には理解できる箇所が少ないのは何故なんでしょうね。民間人には通用しない嘘かくしができるのは、傲慢なのか勘違いなのかもともとの性質なのか疑問がですぎます。

「申し訳ありません」と詫びられる人間の方が「良心」があり魂レベルが上です。それができずに虚言を繰り返せるのは(良心の呵責がない)根が腐っているとしか思えません。どうしてそうなったのかというと、「根」の部分で嘘の肥料をまかれたのでしょうか。「根」が土壌に植えられる時に腐っていたのか、まともだったのに「農薬」に該当する肥料、悪食を与えられたのか、あ~、これだけでも「夏目漱石」風な小説が書けるような気がしました。「あの人は大体いつも嘘をつく、人間の根が腐っている、目も腐った魚のようだ、いつからああなってしまったのだろうか。考えるのも無駄である。人間は修正の機会は幾度もあるのだ、その機会をのがすとするとおしましだ。」とかとか・・。家柄、環境、貧富の差、親の愛情濃い薄い、さまざまな必然違いはあれど、「良心」は魂の本質にあたる部分ですから、自らの「嘘」は影となりいずれ身を滅ぼすことでしょう。

「正直であれ」
これは親の後ろ姿から受け継ぐことがあることも影響大かもしれません。「正直者は馬鹿を見る」ということわざがありますが私はそんなことはないと思っています。「境界線」がなく相手にあわせたり「あの時本当はこう思っていた」という卑怯な人間よりもお互いに尊重しながら口論できるぐらいの「正直者」が「良心があり」いいですね。本日の意識改革のためにまとめると「良心がある」人間は嘘はつかない。「正直である」人間は虚言はない。
嘘と虚言が多い人間とは接しない方がいいです。国民の命をまもる立場の人達に嘘と虚言があるとしたら企業人のように整列して一度おわびしてリセットするしかないでしょう。ビジネス界ではそれが「けじめ」と考えられているが、嘘と虚言が通用する世界がまかりとうる場所があってはならないと感じる次第です。立場を失っても「良心」「正直」である人を国民が選挙で選んでいく選択眼も必要な時代です。ネームバリューではない「魂のレベル」で選択しましょう。

「オレオレ詐欺」など、老齢の方の息子や娘への思いや情を逆手にとれるとしたら「良心のカケラもない」残念すぎる事象でございます。自分が親に見捨てられたから起きるのかと起因はあれど同情はできない事象が減りますように、老齢の親には頻度多い「ありがとう」連絡をしておくのが対応策かもしれません。

電車内でコンビニの弁当が食べられる人は親の姿を見てそうなったのでしょうか。「誰にも迷惑はかけていないし」という勘違いでルールを守れないような人間はいずれ社会から落ちていくと思います。電車は公共の乗り物で視線でも「他人に不快な思いをさせてはなりません」。「箸の使い方」も早めに直した方がいいです。すべてに通じるように感じています。気づいたら直す、親に教育されていないこと、抵抗したことは社会での「マナー違反」となることがあります。お惣菜を買ってくる主婦の方も器に移さない人は育ちが悪いと見られてしまう訳で、せめて器に移して盛り付け直して頂きましょう。つくづく倫理とマナーと食と器の大事さを教わった3日間でした。食は「根」にもなるので大事に頂きましょう。

シルバーあさみの心眼コメント

「嘘と虚言の世界が自分だけの身や肩書を守るためである」時代が終わりを告げようとしています。今日まで「正直者が馬鹿をみた」時代はそのまわりの人の対応能力が次元が低かったのも要素だと思います。誰もが正直にありのままに良心をもって生きていけるとあらゆる業界に光がさしはじめるでしょう。時に変な人もいますがほっておきましょう。「正直」と「良心」が根にある「倫理」の真理が実を結ぶ時代に突入しています。嘘と虚言が酷すぎる人間がいたので適正になっていくのかもしれません。何千年もの嘘が通用する長すぎる闇が終わろうとしています。6月22日から1人1人に問われる「良心」の時代です。