真の覚醒とは、眼の前に起きる出来事に「動じないこと」

真の覚醒とは、眼の前に起きる出来事に「動じないこと」

例えば、つらい悩みが好き、葛藤が起きている方が乗り越えたいというように、「魂はこれを体験したい」から起きていると覚醒しておくことですね。
すべては自分の魂が望んでいることです。自我の望みではありません、無意識的に「お金に窮したり」「男女間のもめ事」を起こして体験しています。

自分で自分を認識できない時の判断などは、ほぼ間違っているかもしれない、と思ってまちがいがないぐらいに確かなことですね。

将来の恐れや不安を感じないために必要なこと

離婚しようと思っていた人が、「家族」や「親子」や「男女」に気づく、「人間とは?」「自分の人生は」と突きつけられて考えて夜も寝れなくなるのは覚醒の寸前かもしれません。
学校の「いじめ問題」から、「なぜ人は人を苛めるのだろう」「なぜうちの子はいじめられるのだろう」と究極になって初めて本気で考えだしたりします、それまでは人事でしたね。

「小さい野の花でいい」 茶人の利休さんの言葉でして、私の祖母も茶道の先生もよく私にいっていました。
「その人ナリの野の花」はどんな花であるのか?他人をうらやんだり、愚痴ってばかりでこれから咲く花を腐らせてはならない・・。

どうして人間は、口からでまかせをいったり、一度いったことを2転3転するんだろう?

「顕在意識」だけで生きているとそうなるのかもしれません。ある時、こう思って、ある時、違うことって考えたんですよね、、、って平気で言える人間って何だろう?

言葉には魂があるって知らない人しかできない癖であり。

将来のおそれや不安は、自分に影と闇があるとわかっているので日常的に起きています。
魂を磨くしかない、それは、とても淡々とすごすことなのかもしれません・・。動じないことですね。

シルバーあさみの心眼コメント

さてさて、私は、本日、更なる「覚醒」をして、ある件を「清算」、ある件を「決断」しました。
頭が爽快です。誠実さに「注視」したときに、その答えはでました、そして、楽になりましたね。

「目覚める」ためにはこだわりを解放しましょう。狭い思考で判断をするのではなく、愛と喜びを土台にしましょう!